浅草から少し歩いた先に、色鮮やかな鯉が泳ぐ小さな池があるのをご存じでしょうか??
先日、台東区千束にある「吉原弁財天本宮」を参拝してきました。吉原神社の飛び地にあたる小さなお社ですが、江戸の吉原の歴史と、関東大震災の記憶が静かに残る場所でした。
■ 鳥居の前には参拝の列

朱色ののぼりが並ぶ鳥居。この日は参拝の方が次々と訪れていました
住宅街の一角に、石の鳥居と朱色ののぼりが見えてきます。こぢんまりとした境内ですが、参拝の方が途切れず、ちょっとした列ができていました。

「奉納 弁財天 吉原神社」ののぼり
のぼりには「奉納 弁財天 吉原神社」の文字があります。ここは浅草七福神の弁財天にあたり、お正月には七福神めぐりの方で賑わうそうです。
■ 吉原と弁天池の歴史
このあたりは、もともと池が点在する湿地帯でした。明暦3年(1657年)の大火のあと、日本橋にあった吉原遊郭がこの地に移され、そのときに残った池のほとりに弁天様が祀られたのが始まりです。
遊郭の楼主たちから篤い信仰を集め、「花園池」「弁天池」と呼ばれて親しまれてきました。
■ 池を泳ぐ金色の鯉

黄金色や紅白の鯉がゆったりと泳ぐ池。奥には小さな滝も
境内の奥には、溶岩石で囲まれた池が残っています。黄金色、白、紅白と、色とりどりの鯉がゆったり泳ぐ姿に、思わず足が止まりました。
正直なところ、金色の鯉がこんなに堂々と泳いでいるとは思わず、二度見してしまいました。金運のご利益がありそうな気がして、しばらく眺めていました。
池は昭和34年(1959年)に大部分が埋め立てられ、今はその名残が残るだけです。それでも、緑の壁と滝の音に囲まれていると、都会の真ん中にいることを忘れてしまいます。
■ 関東大震災の記憶を伝える観音像

大正15年に建てられた観音像と追悼碑
境内でひときわ目を引くのが、岩山の上に立つ大きな観音像です。
大正12年(1923年)の関東大震災のとき、火の手に追われた多くの人がこの池に逃げ込み、490人もの方が亡くなりました。その供養のため、大正15年(1926年)にこの観音像が建てられています。
風にたなびく衣の表現がとても美しく、青空を背に立つお姿に、静かに手を合わせました。
■ 極彩色のお社と見事な彫刻

鯉の滝登り・獅子・虎が彫られた欄間。お社の中には琵琶を持つ弁天様
お社は、朱・緑・金の色づかいがとても華やかです。入口上の彫刻には、滝を登る鯉、獅子、虎が立体的に彫り込まれていて、細部まで見入ってしまいました。
格子越しには、琵琶を抱えた弁天様のお姿も拝見できます。芸事や財運のご利益で知られる神様です。
■ メーカーの取締役として感じたこと
私は精密研磨材料のメーカーで仕事をしていますが、こうした彫刻や鋳造の観音像を見ると、つい「どう作られ、どう維持されてきたのか」が気になってしまいます。
100年近く野外に立つ観音像の質感、色を保ち続ける彫刻、そして鯉が元気に泳げるよう水を回し続ける池。どれも、地域の方が手を入れ続けてきたからこそ残っているのだと思います。良いものを作ることと同じくらい、良い状態を保ち続けることが大切なのは、ものづくりも同じだと改めて感じました。
■ 基本情報
- 名称:吉原弁財天本宮(吉原神社の飛び地)
- 所在地:東京都台東区千束3-22(花園公園の隣)
- 参拝:24時間可能(境内は屋外)
- 御朱印:近くの吉原神社でいただけます
- アクセス:東京メトロ日比谷線 入谷駅・三ノ輪駅、つくばエキスプレス浅草駅から徒歩約15分
- 吉原神社からは徒歩1〜2分です
■ こんな方におすすめです
- 浅草観光のあとに、静かな場所で一息つきたい方
- 浅草七福神めぐりをしている方
- 江戸・吉原の歴史や、関東大震災の記憶に触れたい方
- 色鮮やかな鯉や、社殿の彫刻を写真に撮りたい方
浅草寺の賑わいから少し足を延ばすだけで、まったく違う東京の顔に出会えます。吉原神社とあわせて、ぜひ一度訪れてみてください。
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